2017年05月27日

納骨はしたけれど・・・


 父の納骨が終わりました。

 お墓の中って、こんな風なんだ・・・

 祖母の亡くなった時は、オランダにいた時。

 ・・・と言うか、阪神淡路大震災の直後。

 震災関連死では、ないんだけど。

 もう、半年くらい前から、弱って来てたって。

 でも、震災でガスが止まって、暖房が不十分な所へ、子供3人、

 当時2歳のまるねこ娘まで、連れて戻るのは無理だと言う事で、

 すべては、さあのいない間に、終わってしまった。

 何しろ、食糧難状態で。普通、親戚がお葬式に来るって、

 御馳走をお出しするもので。それが、向こうから食料持ってきた。

 巨大な寿司桶すし2杯分、だって。今だに話題になる。

 祖父の時は、何と長男が中間テスト、真っ最中iconN04face08iconN04

 忌引きで仕方ないとはいえ、0点のテスト結果に、

 めまいを覚えましたよ。だから、勉強第一で、

 納骨まで連れて行けず・・・

 そんなこんなで、お墓の中を見る機会がなく、

 今日まで来てしまいました。

 考えてみれば、成人するまで、親族の葬儀を知らずに済むなんて、

 (さあの学生時に亡くなった伯父の葬儀は、両親が行った)

 幸運な前半生、なのでしょうけど・・・

 骨壺からお骨を出し、晒木綿の袋に入れ、祖父の袋の上に、

 そっと乗せました。祖母の袋は、朽ちて無くなっていましたが、

 その前には、幼くして亡くなった、父の弟一人だったので、

 小さなお墓ですが、まだ中には余裕が十分・・・

 まあ、さあは、ここには入らないのでしょうが・・・

 ・・・こうして父は、冷たい墓の石の下に・・・

 入ってる気が、しないんですよ。

 なんだか、飄々として、イースター島のモアイなんか、

 見に行ってるんじゃないかって、そんな気がするんです。

 そうして、時々戻って来ては、先に逝った碁仲間を呼んで、

 仏間座敷で、ぱちんぱちんと、碁盤に石を置いて遊んでいる、

 そんな気がして、ならないんです。

 弟が、父の絶飲食のまま逝ったのを気にして、

 色々とお供え物を、切らさないようにしてるから、

 お菓子や軽食をつまみながら、時にコーヒーも飲みながら、

 昔、出張で行った、アメリカやイタリアの話とかして、

 楽しんでいるんだろうなって・・・アメリカ行きの時なんか、

 家族みんなで、羽田まで見送りに行きましたよ。飛行機

 伊丹じゃないよiconN04羽田よiconN04iconN04

 さあなんて、小4だった。学校早退して、飛行機に乗るって。

 大阪の真ん中に住んでたけど、さすがに飛行機体験は、

 さあが、クラスで初めてだったから、

 さあは、病気でもないのに、早退する代わりに、

 クラスの皆の前で、担任に宿題を出されたわけ。

 飛行機に乗るのは、どんなものか、帰ったら皆に発表せよ、って。

 父は、宿題の話を聞いて、富士山は無理かもしれない、

 曇っているから。でも、空の色や、icon02雲の様子を観察したり、

 空港には、飛行機以外にも、色々な機械や車があるから、

 よく見て帰って、発表すればいい、と、教えてくれた。

 さあは言われた通りに、よく観察して、

 雲の上は晴れて、上を見上げるほど、濃い青色の空で、

 富士山は曇りで見えず、スチュワーデスさんが飴をくれた事、

 弟は幼稚園だから、飛行機のオモチャをもらった、などと

 発表した。質問はなかった。クラスの皆には、文字通りの、

 tenki_418雲の上の話だったのだろう、と、今にしてみれば、思う。

 でも父にすれば、さあがクラスで、飛行機体験を発表する、

 と言うのは、父親冥利に尽きる思いだったのだと思う。

 「海外出張を、子供に見送らせるため、

  羽田まで飛行機に乗せて、連れて行く。」

 そして、国際線のターミナルで見送り、

 帰りは、東京タワー近くを通るモノレールも体験させ、

 新幹線新幹線で帰る・・・と、母に指示しているのも、覚えている。

 多分、地下鉄では、東京の街並みが良く見えない、

 モノレールなら、よく見えるだろうと言う、親心だったのだ。

 母にすれば、タクシーで、羽田から東京駅まで、

 多少出費しても、一息に着きたかっただろうと思うが、

 母は律儀に、私たちをモノレールに乗せた・・・が、

 帰宅ラッシュに巻き込まれ、子供の身長では車窓の景色は、

 あまりよく見えず、東京タワーの景色は、さあの記憶にはない。

 一ヶ月半、ほぼ母子家庭状態になる緊張感から、

 弟と母の手を、必死に握りしめていた記憶だけがある。

 父からは、郵便縁がトリコロールカラーの手紙が、何回か来た。

 薄い、透けるような便箋が入っていた。

 それを担任に話すと、もしよかったら、icon30外国の事を書いた手紙を、

 持ってきて欲しい、と言われ、一度だけ、持って行った。

 そんなに、プライバシーに喧しい時代ではなかったが、

 家族あての手紙を、学校で発表させるのは、良くないとの事で、

 信号自動車交通ルールが左右反対とか、ニューヨークの巨大ビルの事、

 日本ではあまり見られない、360度、真っ平らな地平線の大地、

 そこを、ただ真っ直ぐに通る、鉄道の線路の話など、

 当たり障りない所を先生が読み、手紙の料金が重さで決まるので、

 このように薄い封筒と便箋を使う、と、遠目に皆の前に

 示されたのだった。

 父は、この手紙の件は、知らなかったと思う。

 もし知っておれば、きっとわざわざ、珍しい風物について、

 カメラ色々細々写真付きで、送って来てくれた筈だから。

 さあが、御土産話をわんさか聞いて、いっぱいの写真を見て、

 感激したのは父が、帰ってからだった。

 さあは、父が仕事で、アメリカに行ったと思っていたから、

 なぜか、水泳海パン姿やディズニーランドでティーカップに乗っている、

 父の姿を見ても、海岸や遊園地に仕事に行ったと、

 単純に考えていた。しかし、父は、もちろん重要な仕事をし、

 ついでに、この機会逃すまじと、必死に時間を作って、

 遊びまわって来たのだと、弟に聞かされ、呆れ返ったのだ。

 海パン姿は、なんと、アメリカ本土ではなく、

 kao_16驚くなかれ、ハワイのワイキキだったと言う。

 まだ渡米は、アンカレッジ乗り継ぎ時代の事。

 ハワイまで往復、飛行機何時間かかったのか知らないが、

 よくも、まあ、そんな時間を作ったものだと、呆れてしまう。

 そんな父だから、きっと、不自由な老いた体から解放され、

 ここぞとばかり、世界漫遊の旅をしているのだと、

 さあが思ってしまうのは、仕方がないだろう。

 父の枕もとにいた時、観音様の御姿の守護霊によれば、

 父は、後、何度か生まれ変わる度に徳を高め、近いうちに

 (仏さんの「近いうち」だから、何百年だか何千年だか、わからない)

 もう、生まれ変わらない、世界へ行ってしまうのだそうだ。

 それを知って尚更、一生懸命、遊んでるのではないのかしら・・・

 さあは、そう思えて、ならないんです。


  



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Posted by さあちゃん at 20:56│Comments(0)メルヘン無題
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