2016年06月09日

『学校へ通う』と言う事


 思い出話を、一つ。

 長男を、3年保育の幼稚園に入れて、数日たった頃。

 奇妙な違和感に、取りつかれた。

 長男は、3月の末の生まれだから、3歳のお誕生日の、

 数日後には入園式、と言う運びだった。

 もしかすると、ついて行けないかもしれない、と言う、

 危惧を抱きつつ、通園バスを見送る事、数日。

 長男は、何事もないかのように、平然とバスに乗って、

 出発し、そして、帰って来る。

 なにしろ、やっと3歳になり立てだから、

 幼稚園での出来事を、上手に話したりは、できない。

 担任の先生が、綿密に連絡帳を書いて下さるが、

 毎日、20数名分を書いておられるのだから、

 一人の親としては、物足りない。

 そして、奇妙な感覚に、私は囚われた。

 ・・・どうして、私は、息子と同じ景色の中に、いないのだろう・・・

  息子と同じものを、今、私は見てはいない・・・

  私の見ているものを、息子は見ていない・・・

 それが、なぜ、そうであるか、理屈では分かっているのに、

 感情がついていかない。

 ・・・子別れとは、こう言うものなのか・・・

 オーヴァーだが、私は、必死に理屈で、感情を宥めた。

 あれから、27年が過ぎた。

 一人前になった長男は、結婚を控えている。

 よくもまあ、あれ程のしっかり者の美女を、見つけ出せたものだと、

 感心してしまう。

 ところが、世の、同年代の女性の中には、

 息子の妻に、よからぬ感情を持ってしまう人もいるそうで、

 それは、息子をいつまでも我が物にしておきたい、

 独占欲や、若い女性への嫉妬なのだそうだ。

 私は、自分にそんな感情が起こっているかどうか、

 幾度も自問自答してみた。

 だが、いくら顧みても、私の中には、未来の長男の妻への、

 よくない感情は欠片も起こって来ない。

 ・・・子別れは、随分前に終わったからなぁ・・・

 多分、長男が3歳の時の、あの感情が、

 子別れのサインだったのだろう。 

 私は、そう思う事にした。

 私の場合、まるねこ娘の婚礼の方が、厄介な感情を起こしそうで、

 相手もいない今から、気に病んでいるのだが、

 まるねこは、未だに学生で、結婚どころではない。

 子別れで、私がうじうじと気に病むのは、まだ当分先の事だろう。

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 学童保育のお教室を、休みがちな子がいる。

 聞けば、学校自体も休みがちだと言う。

 学校へは、行かさねばならないだろう、と思うが、

 母親が、登校に消極的らしい。

 平日に母親が休みだと、学校を休ませてしまうと言う。

 休んで、子供は家で、何をしているかと言えば、

 家族は、大人の女性ばかり。

 その中で、我が儘放題な生活を送っている。

 幸い、保育園時代のしつけは、よく身に付いていて、

 手洗いや片付けは、上手にできるが、学童保育に来ても、

 子ども同士の会話が、一向に成り立たない。

 学力に遅れもない、大人とは会話できる。

 ただ、母親が、子供に分離不安を抱いて、

 学校で、いじめられているのではないかと、心配のあまり、

 自分の休日は、自分が見てやれるのだから、

 学校へ行く必要はない、と、考えているようなのだ。

 ところが、家に居ても、勉強のフォローをして貰う訳でなし、

 第一、学校は託児所ではないし、義務教育を受けねばならないし、

 このままでは、社会性に極端に欠落した人格になってしまうと、

 福祉関係の役人が、やいのやいのと説得して、

 どうにか、しぶしぶ、通学させるらしいと言う現状。

 私は、なんとなくだが、この母親の気持ちは分かる。

 子どもが、自分の知らない世界を、見聞してくることが、

 不安で不安でたまらないのだ。

 自分が、同じだけの物事を、同じ視点から見聞できない事が、

 悲しくて、やりきれないのだ。

 自分の知っている世界の中に、自分と子供とで、閉じこもって、

 同じ感情を、抱いていたいのだろう。

 だが、同じ感情など、抱けるはずはない。

 今までだって、親子と言えど、別の個体。

 同じ世界に閉じこもっていても、同じ物を見ているとは限らない。

 眼球と脳味噌が別物なのだから、同じものを見ても、

 同じように捉えているかどうかは、全く分からない。

 私は、そういう理屈をつけて、自分の子別れを、

 感情に納得させた。だが、誰にでもこの方法が、

 効くとは限らない。

 眼球だの網膜だの、シナプスだのと、脳神経の働きを、

 あれこれ説明して、色覚ひとつとっても、個体差のある事だから、

 などと理屈をこねあげても、きっと、分かる人は、

 私の思うより、半分にも満たないに違いない。

 人間とは、自分で思うよりも余程、感情に支配された生物なのだ。

 そして、感情が厄介な方向へ働くがゆえに、

 誰でもが幸福になれない世の中が、出来上がってしまうのだ。

 感情が豊かである事は、望ましいかも知れないが、

 感情の赴くままに、行動する事は、周りの人を傷つける。

 感情とは、表現すべきもので、ぶつける物ではないと、

 どうにかして、分かって貰いたいのだが、親子でそろっても、

 なかなか、分かって頂けない事の方が多い。

 かくして、子供は我が儘になり、親はクレーマーと化す。

 子どもが、要支援児であると言う事は、一部の親にとっては、

 いろいろと、手厚い福祉の手が差し伸べられ、よい事として、

 受け止められているかも知れないが、実際、本当の所、

 要支援児でない子どもに、親の便宜上、このレッテルを張る事は、

 子どもの未来における、選択肢の幅を狭める事になるのではないか、と、

 私は、懸念している。

 現に、そうなってしまっている少女も、知っている。

 彼女は、明らかに「作られた障害者」と言うべき存在だろう。

 知能は正常だが、学力がないため、障害者向けの作業所にしか行けないのだ。

 今、彼女に必要な事は、作業所で単純労働をして、最低賃金を得る事ではなく、

 不登校の間に失った学習時間を取り戻し、義務教育相当の

 学力を得る事だろう。だが、「手帳」と言う味方を得て、

 彼女が選んだ道は、将来へ向けて、何の広がりも持たない、

 ただ下って行くだけの、狭い一本道なのだ。

 まだ十代の彼女は、せっかくの学習の機会を手放してしまい、

 自らの手で、未来を閉ざしてしまったのだ。

 そして、彼女の後に続きそうな子供達が、続々と生み出されている。

 いずれも、親が、子供の学習に消極的であるがために、

 要支援児になってしまっているのだ。

 もちろん、厳密に検査を受けて、「手帳」を交付されているのだろうが、

 幼児期の、多少の性格の偏りは、検査員の主観によって、

 大げさに捉えられてしまう事があるのだろう。

 私らが子供の頃には、あれくらいのガキ大将なんか、

 普通のクラスに、いくらでも居たものだ。

 少々ワガママすぎたり、言葉が悪かったり、喧嘩っ早かったり、

 泣き虫だったり、勉強が遅れ気味だったり・・・・・

 いろんな子がいた。私も、我が儘で協調性なく、泣き虫で、

 大人としか会話できない子供だった。そして、学校なんか、

 大っ嫌いだった。

 今は、普通学級で、少しでもはみ出しそうな子は、

 あらかじめ、支援学級に、先に入れてしまうらしい。

 そうして、福祉の手にゆだねる事で、いかにも手厚く、

 保護しているかに見えて、実際はその子達の将来を狭め、

 補助金や援助金の名目で、支出ばかりがかさみ、

 財政の圧迫のもとになっているのに違いないのだ。

 一方で、子供が支援を貰う事で、一部の親たちは勤労意欲をそがれ、

 頂くもので暮らせればよし、などと言う風潮が生まれている。

 児童の最善の利益、と言う言葉も、受け止めようによって、

 このようになってしまう。

 何が、本当の、最善の利益なのだろう。

  答えは、何処にあるのだろうか。


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Posted by さあちゃん at 05:07│Comments(2)愚痴保育
この記事へのコメント
子別れは、人生の大きな事業のひとつだと、思います。

今まで、別れを繰り返して、喪失感に悩んだことも、次への勇気や教訓を得たこともありました。

73歳、人生の愚痴を、ブログに込めて居ますので、ブログを覗いて下さい。
Posted by 夢想花夢想花 at 2016年06月09日 11:19
Dear 夢想花さん
 人生、分かれと出会いの繰り返し、なのですね。
でも、「我が子」との別れを、感情面で処理できない親子が、
子どもを抱え込み、社会と途絶させ、その結果生じた子供の性格のゆがみを、
「障害」として、更にゆがませる方向へ働き掛けてしまう・・・
そんな事例が多いです。
 ブログ、ご無沙汰してます。すみません。ポップアップカードで頑張ってます。
またお邪魔させていただきます。♡✧。(⋈◍>◡<◍)。✧♡
Posted by さあちゃんさあちゃん at 2016年06月10日 00:28
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