2013年04月08日

『art』 の定義

 『art』 って何だろう。さあは、アーティストじゃない。

 でも、頼まれ物とは言え、「美しく」を目指して、「布花」を作った。

 お気に召す人がいれば、ありがたいと思う。

 ただ、万民の目にさらす目的で、発注された物を作る、という事は、

 アーティストの仕事をした、と言えるのでは、ないだろうか?

 「誰か」特定の人のために作り、それ切り、人目に触れること無い品なら、

 それでいい。さあは、趣味の領域から出ない。

 だが、あれこれ注文を出され、応じる為に心を砕き、挙句に「『art』として認めない」とは?

 さあは、豊富な資金を、先行投資できる状態ではない。

 「京都へ行って、勉強して来たら?」と言われて、「はい、そうですか」と、

 即日出かけて、高価な材料を買い集めたりは、できない。

 できないのだから、できる範囲を、お気に召して頂ければ、それでいい。

 何処かの誰かのドレッサーの奥で、ひっそり朽ちて行くだけの物でいい。

 だが、展示し、場合によっては売ると言われた。

 さあは、訳の分からん物を買う趣味の無い人間だから、何なりと肩書きをつけて、

 製作者が正体を明かしてた方がよかろうかと思って、名刺も作った。

 が、アーティストでないから、名前は要らないそうだ。

 名無しのごんべの作品としてなら、万民の目に触れるさせるのは、ごめんだ。

 対等な立場なら、そう言って、材料費を支払って(生地代だけだが)、引き上げたかった。

 だが、発注者とさあは対等ではない。和裁の師匠。今後娘が世話になるかも知れぬ人。

 いや、既に、世話になってる。にっこり笑って、俎上の鯉になるしかない。

 要するに、こうだ。

 高価な、入手困難な原材料を、先行投資して購入し、

 幾らかの損害は覚悟で、試行錯誤を繰り返し、

 美しく、すばらしい作品を仕上げ、自身でプロデュースし、

 幾らかのネームバリューを得た後、持ち込んだら、認めると。


 表の口では、「無名のアーティストを掘り起こし、楽な条件で個展をさせ、

 少しでも、世に出る手伝いが出来れば嬉しい」と、耳に良い事を言いはするが、

 クォリティは維持したいらしい。そこらの安物を持ち込まれぬよう、敷居を高くしている。

 敷居は高くても結構だ。だが、有名人の七光りと言う、抜け穴つきの敷居であるなら、

 さあは、条件を飲めない。あの熊、鹿、陶器の欠片の、下に扱われるのはごめんだ。

 現実、使った生地代が出せない。絹の白生地一反。半分は使った。

 もう着物地としては無価値だ。古物とは言え、新品定価は十万円を下るまい。

 請求されたら困る。だから、冷却期間を取っている。

 『art』 って、何だろう。万民の目前に作品を晒す。その覚悟で作られた作品。

 さあの定義は、間違っているのだろうか?


 



Posted by さあちゃん at 11:10│Comments(0)
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