2013年01月16日

恐怖による支配・・・思う事さまざま

 悲惨な事件が、また起きてしまった。

 指導に名を借りた暴力事件。

 少しだけ昔、運動部には、新入部員をリンチにかける慣わしがあって、

 死亡事件なども起こり、大変な大問題になった。

 生徒同士は、そう言う事がないように、教師や指導者の監督が、厳しくなったらしい。

 それなのに、教師が暴力で「指導」するなんて・・・

 「殴れば強くなる」・・・問題教師は、そう発言したらしいが、この言葉には、嘘がある。

 殴られて強くなる選手は、殴られなくても強くなる。

 強くなれる選手だから、殴られても、辞めずに続けられるのだ。

 かつてのリンチ事件は、ある意味、素質のない部員を選別する意味があったらしい。

 ぼこぼこにされても、辞めなかったら、素質あり、と言う判断だ。

 だが、今回の暴力事件は、意味合いが全く違う。

 ニュースで見る限り、顧問教師の八つ当たりとしか思えない。

 部活は、生徒の活躍の場である。顧問の手柄を競う場ではない。

 それを履き違え、気に入らない事がある度、部員、特に部長に責任をおっかぶせて、

 殴ると言うのは、とんでもない行為である。

 しかも、腕力に拠らない時は、言葉の圧力も行ったらしい。

 「黙って殴られてないと、試合に出さない」

 もはや、脅迫である。

 私は、尼崎事件を思い出した。連続死体遺棄事件と言われている、アレである。

 極端な毀誉褒貶の挙句、不服従者を殺してしまう。

 暴力を恐れる余り、親族は感覚が麻痺し、良心に蓋をして、唯々諾々と従ってしまう。

 一方で、指図に従っているだけで、自分の意思でないと言う、拠り所があるためとも言われるが、

 大阪の事件も、試合に勝つため、強くなる為、ひいては、学校の名誉の為という、

 顧問とも生徒とも別の所に、拠り所があった。

 拠り所があり、密室的時間と空間があり、中心人物が暴力的人物であった場合、

 人はなんと簡単に、悪魔になれることか。

 私は、悪魔と嘘つきは、理論上パラドックスに陥るため、存在し得ないと信じて来た。

 だが、尼崎の事件を知り、悪魔が存在し得る事を知った。

 悪魔はいるのだ。人の心を暴力の恐怖で縛り、激しいストレスで支配する。

 暴力は、直接の力によるとは限らない。言葉によるもの、視線や態度でも、暴力はあり得る。

 穏やかそうな言葉でも、返答に困る質問や、人の行動を制限する発言を繰り返すのは、

 暴力である。返答を、どこに洩らすか分からぬ、信用ならぬ人物だから、何も言えないのだ。

 他の者に聞こえぬように、すれ違いざまに小声で命令するなど、悪魔的所業の最たるものだ。

 普通の声で言う時は、「~して貰えますか?」等と言ってるくせに、「さっさと、これを片付けろ!」

 これを悪魔的と言わずして、何と言う?

 ・・・話が逸れた。

 今の学校は、密室である。家庭も密室化している。子ども達は、密室から密室へ、

移動するばかりで、解放を知らぬのではないか。

 スポーツとは、世界に開かれた、ボーダーレスな世界観を、もたらすものではないのか。

 学校と言う密室で、スポーツを行うことは、危険ではないのか。

 学校の、6・3・3・4制にも問題がある。実質2年半で選手を育てるのに、無理がある。

 やはり、5・5・5制にするべきであろうと思う。

 4年半あれば、無茶をする必要はなくなるだろう。16・17歳のアンバランスな時期に、

あれもこれも、させようとするから、無理が起こるのだ。

 それを、どうにか乗り越えた者を、「体育会系」などと称して、会社組織が取り込むから、

今度は、会社と言う密室に、悪魔が現れるのだ。

 
 人間の心は、複雑なようでいて、案外単純な公式の上で動いている。

 公式の端くれを知っておれば、悪魔を見分け、分析し、我慢の為所も見出せるが、

若いアルバイトには、無理である。

 また、アルバイトが辞めると言い出した。よその部門から、パン屋に応援に来ていたが、

悪魔の所業に、1日で音を上げたと見える。

 いい加減に、本部も気付かねばならないだろう。なぜ、アルバイトが続かないか。


 やられた事以外の方法を知らないと、やられた通りに人にやる。

 暴力による、被支配から支配へ。支配する事で、非被支配者の成功体験を、

疑似体験し快感を得る。支配権を手放す事は、最早出来ない。

 被支配者を支配し続ける為に、己の知る唯一の方法である、暴力の恐怖で縛りつけ続ける。

 恐怖による支配は、連鎖するのだ。

 暴力の根を断ち切るのは、「やられて嫌な事を、他人にやらない」それだけでいい。
 
 解放された世界観を、想像上だけでも知ると知らぬで、精神状態は、天地ほどの違いがある。
 
 だが、密室しか知らぬ者は、外を見る事すら知らぬ。かくして、救われぬ者ばかりが増えてゆく。

 恐怖による人心支配。終わりのないスパイラル。本人は辞めればすむ。

 だが、次の世代へ、支配権は引き継がれて行く。

 どうすれば、終わるのだろうか・・・・・
 

 

 



Posted by さあちゃん at 10:53│Comments(0)
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