2016年07月08日

話題が地味なので、檸檬色の薔薇を・・・

話題が地味なので、檸檬色の薔薇を・・・
 
 マウスの調子が悪くて・・・買い替えたら、

 これまた、慣れなくて、矢印がどこかへ飛んでっちゃう。

 やっと、ちょっと、動かせるようになりました。

 庄堺公園の薔薇。大好きな檸檬色・・・

 天気のせいか、時刻が遅すぎたか(午後五時頃)

 なんで、こういう色に写るかな・・・face07kao_01kao12

    iconN08 かたつむり iconN08 かえる iconN08 tenki_2 iconN08

 愚痴っちゃ、これも、愚痴なんですけどね。

 なんだか、お教室の子供達が、可愛そうになって来ちゃって。

 えぇ・・・っと・・・個人情報に関する話は、今回は無し。

 ただ、ねぇ・・・多少、賑やかすぎるお子様たちだから、

お出かけする先が、限られてくる訳じゃないですか。

 お買い物も、大人が自分の行動を、予定しておかないと、

突飛な反応に対応できないし。公園くらいなら兎も角、

映画館や遊園地は、入場料が無駄になる覚悟でないと、

連れていけないし。

 学校とお教室以外の集団ったって、お稽古事は、難しいし。

 スイミングは、マンツーマンで講師が付かないと、危険すぎるだろうし。

 集団のスポーツは、自分のルールでしか動けないから、

絶対に混乱のもとになる訳で、入れて貰えないだろうし。

 個人レッスンは、根気よく、繰り返しの訓練がいる物は、難しい。

 お習字の塾や、お絵描き教室に通ってる子は、いるけど、

先生達が、余程の覚悟で受け入れておられるのに、違いない訳で。

 子供達にしたって、自分の描いた物が、形になってるから、

次の段階へ、踏み出す弾みになる訳だし。

 それがないと、上達もしないだろうし。

 ・・・つまり、お教室の子供達は、世間が狭い訳です。

 お友達も少ないし。

 学校から帰って、お友達のおうちに遊びに行く、なんていう、

当たり前の経験も、した事がない。・・・どころか、

集団登校で、歩いて、学校へ行った事もなければ、

 (途中で勝手に、列から離れる恐れがあるので、

  親が車で、学校へ送っていく。)

お友達と、おしゃべりしながら、下校した事もない。

 (お教室の送迎車が、学校へ迎えに行ってる。)

 知的に、著しい遅れのない子にとっては、

 「お友達のおうちへ、遊びに行く。」と言う事柄に、

 物凄い憧れが、あったりする訳です。

 ・・・何が言いたいかってiconN05

 つまり、そんなに狭い世間の中で、日々を暮らしてるのだから、

せめて、何かの行事ごとの日くらい、伝統に則った、

綺麗に整った完成品に、取り囲まれて過ごす楽しさ、美しさ・・・

 そう言う経験をさせてやりたいと、思うんですよ。

 まあ、完成品、ったって、我々の準備できる程度なんて、

タカが知れてますがね。

 ところが、ベテラン先生の方針は、

 子供達の作った物しか飾らない

 教室開所当初に、本部の指示で、私が作った切り紙も、

 その方針に則って、徐々に駆逐されつつあり、

 壁面装飾は、稚拙な折り紙を貼り合わせた物が、少々・・・

 まあ、それはそれで、いいでしょう。

 割と器用な子が一人いまして、その子が中心になって、

 結構まとまりのある状態まで、作ってくれましたから。

 でも、七夕の、笹飾り・・・は、ともかく、を、手作りさせるなんて・・・

 笹の葉、じゃなくて、笹・・・つまり、竹そのものを、ですよ。

 それを、子供達の手作りで。

 そうでなくても、根気も続かず、手先の自由も利かない子達に。

 充分な材料もなく。そこら辺のありあわせで。

 職員達が、子供達に渡した材料は、

ラップフィルムの芯が数本と、新聞紙一束と、緑色のガムテープ。

 ベテラン先生の指導によると、ラップの芯をガムテープでつなぎ、

新聞紙を筒状に巻いた物にも、ガムテープを巻き、

それらを組み合わせて、樹木状の物を作り、そこへ、短冊や、

飾り物をぶら下げる・・・

 工作経験が、幾らかでもおありの方には、お分かりと思うが、

ガムテープの上に、ガムテープを貼っても、上手く付かない。

 先に、幹のラップ芯に枝を付けてから、全体をガムテープで巻けば、

良かったのだろうが、手順を逆にしたばかりに、枝は全く枝の役をなさず、

飾り物は、次々落下。やっとのことで書かせた短冊も、

植木鉢に見立てた段ボール箱の上に、束ねて置いてあるだけ、

 と言う、悲惨な出来栄えになってしまった。

 そりゃあ、ベテラン先生の言い分にも、一理はある。
 
 本物の笹なんか、すぐに枯れて来て、色あせ、葉が散り落ち、

汚くなって、掃除の手間ばかりが掛かり、最後には、ゴミに出す時、

大騒ぎになるのが目に見えている、と言う訳だ。

 だからと言って、近所のスーパーのように、ニセ笹の大枝を、

店で買って来るだけの、予算はない。

 ・・・だからって、笹まで子供に作らせるなんて・・・

 出来上がらないであろう事は、予測がついた。

 だから私は、最低限の飾りとして、笹の葉の折り紙を、

十数枚作っておいたのだ。

樹木状の物が出来上がらなければ、窓辺に笹の葉と短冊を、

交互にぶら下げれば、それなりに見栄えがすると思った。

 一応、段ボール箱のまん中に、ラップの芯の継ぎ合わせた物は、

どうにか立ってたので、私はそこに、笹の葉に紐をつけて、

引っ掛けて置いた。

 翌日、出勤すると、『笹』の位置は移動していた。

 そして、『笹の葉』は、元の『笹』の場所に、全部落ちて散らばっていた。

 他の飾りは、取れかかった枝状の物に、引っかかっていたから、

故意に『笹の葉』だけをむしり取って、床に落としたとしか、思えなかった。

 私の作ったのは、笹の葉だけではなく、網状に折り紙を切った、

『天の川』も、あったのだが、こちらは、別の職員が、

 「お手本にする」と言って、取り外し、その次の瞬間、

子供達の手に掛かり、バラバラに切り刻まれていった。

 (その職員の作った『天の川』は、子供達の物と、

  ドッチコッチの出来栄えで、区別がつかなかったらしく、

  『笹』の枝に残された。)

 確かに、学童保育と言う名目であるのだから、

「子供達が主体でなければならない」事は、理解できるし、

日常は、そうあるべきであろうと思う。

 しかし、書き記された情報を読み解く力に、著しく欠けた子供達は、

目の前で、繰り返しお手本を示されなければ、覚える事が出来ない。

 試行錯誤の中から、想像力を駆使して、完成品の形を導く事は、

この子達には、恐らく、ほぼ、出来ないだろう。

 そんな子供達に、伝統行事を行わせるのに、ろくにお手本も示さず、

不十分な材料しか与えず、完成予想を、見せる事もなく、

どうやって、この日本の美しい行事を、理解させようと言うのだろうかiconN06

 非正規職員の多い中で、彼女は数少ない児童発達管理官の

資格保有者で、忙しいのだから、どうしても徹底させたい

基本方針だけ示して、「あとは、パート職員を信じて下駄を預ける」

 と言うことが、性格上どうしても出来ないのなら、

子供達の工作に、他の職員を手出しさせずに完成に導けるよう、

傍に付き切り、書き物や計算物はサービス残業でも、するしかないだろう。

 (それをやって、私は、体を壊しました)

 中途半端に、「子供達の作った物しか置かない」と、

意固地になって、行事ごとを、どれもこれも、未完で終わらせるのは、

子供達の精神発達上、良い事ではないと、私は考える。

 お教室の子供達は、行事の完成品を、見聞きした経験が少なく、

ましてや、どうしたら物事が完成に近づくのか、手順を知らないのだ。

 折り紙ひとつとっても、折り紙の本を見ても、それらの図を、

理解できないのだから、誰かが手本を、目の前で折って

見せなければならない。だが、集中力の続かない子達である。

 最初の、一折り二折りは折っていても、すぐに別の遊びに目が移る。

 そこで、こちらが折り止めてしまえば、子供は、完成品すら

目にすることはない。私は大急ぎで最後まで折って、目に付く所に、

それを置いておく。ところが、ベテラン先生は、職員の折った物を、

見つけるや否や、即座に処分してしまう。かくして、子供は、

「折り紙の本」の写真と同じ物が、現実に手に取れる作品として、

この世に現れるのを、知る事がない。だから、それらがもしかしたら、

自分でも作れるかもしれないと、考えつく事もないのである。

 ・・・これでは、この子達は、完成された物の美しさを、

  体感する事が出来ないのではないかiconN05・・・

 大人の手が入ってでも、ある程度のレベルの物を、

完成させる事には、それなりの喜びがあろうと、思うのだが、

大人の手が入った物は、子供にとって、無価値であると信じるのなら、

お教室の子供達は、永遠に、完成の喜びを知る事が出来ない。

 大人に作って貰いながら、その技術を見覚え、自分の物にして行き、

最初こそ、ほとんど作って貰っていたのが、次には三割、次には半分、

次には、おおかた自力で、最後には、完全に一人で、順を追って、

出来るようになって行くものでは、ないのだろうか。

 健常の子でも、八歳ぐらいでは、折り方図を理解できないと思う。

 それでも、興味を持って、「折って、作って」と言う子等に、

「自分でしなさい」とだけ言って、お手本を示させないのは、

子どもの発達を、止めてしまう行為ではないだろうか。

 私の親のように、何もかも手出し口出しして、少しでも間違うと、

この世の終わりが来るかのように、怒号を浴びせるのは、

絶対やってはならない事だろうが、だからと言って、

 「子供の作った物しか、飾らない」

 と言うのは、考え方として、後ろ向き過ぎると思う。

 「子供が主体となって作った物を、主に、中心に、飾る。」

 と言う程度で、いいのではないだろうか。

 私は、親に手取り足取り、言いなりに生かされて来た。

 それが良かったとは、思ってはいない。

 それでも、親のする事を、間近で見おぼえる事が出来た。

 後年、自分でやる時には、その記憶がどれほど役に立ったことか。

 「そんな手出し口出し、された事がない。全部自分でやって来た」と

言いながら、伝承の「鶴」や「奴」の折り方も知らず、折り方図を見ても、

実物に置き換えられず、乏しい材料を活用するための、

画期的なアイディアも出せず、「新聞紙、子供に丸めさせて」

「新聞紙、子供に束ねさせて」ばかり繰り返していては、

行事の完成は、おぼつかない。

 完成させられない子供達だから、お教室で預かっているのである。

 できる子達なら、公立の学童保育で、構わないのだ。

 もうすぐ夏祭りをやるそうだ。またしても、

「子供にさせる」と、息巻いているが、現実、何も進んでいない。

 今度は本部の子供達を巻き込んで、また、未完の行事を

やるのだろうか。頭が痛い所である。

 さらに、クリスマスには、クリスマス『もみの木を、子供達に作らせる』クリスマスんだ、

そうである。既製品の大きなツリーがあるのに、だ。

 どんな材料で、どう言う手順で、作るのかは、またどうせ、

行き当たりばったりで、そこらのあり合わせ、になる事だろう。

 見て見ぬ振りも、相当なストレスである。

 子供達は、上手く出来上がらないモミの木に、失望し、

 「どうして、去年のツリーを出してくれないんだろうiconN05」と、

不信感を抱くに違いない。中には、「つまらない」「みずぼらしい」と、

親や、福祉の係官に訴える子が、いるかもしれない。

 私は、その時どうするのだろう。

 黙って、ベテラン先生のやり方に、唯々諾々と従うだろうか。

 別の管理官を味方に引き込んで、反旗を翻すだろうか。

 あまり、人を動かす事は、得手ではないから、

その時が来ないと分からないのだが、このベテラン先生、

相当あちこちの施設を、転々として来て、

敵を作って回ってるらしい様子も、うかがえる。

 まあ、その時が来るまで、じっくり観察して、考えましょう。

 本当の子供達の利益になる事は、どっちなんだか。

 ・・・って事をね。

 


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Posted by さあちゃん at 05:07│Comments(0)愚痴保育
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