つまらない愚痴ですが・・・part 2

さあちゃん

2016年03月26日 00:23




またまた、つまらない愚痴を一つ。

春休みが始まって、朝から子供達が来るようになった。

お昼ご飯は、家から持参か、教室契約の仕出し屋の弁当か。

仕出し弁当は、事前注文制である。

弁当持参のはずの子が、持ってこなかったとしても、

突然、用意してやることはできない。

あわてて、親に連絡を取る事になるのだが、

この度は、連絡がつかない事態が起こった。

聞けば、前夜から親の機嫌が悪く、迎えの車が付くや否や、

追い出すように、家を出されたと言う。

この子は、知的レベルは低くないので、

昼食を持たされていない事を、職員に自分から訴えてきた。

だが、親と連絡がつかない以上、教室側にできる事はない。

もしあるとすれば、保護責任者の不保護として、

児童相談所通告だけである。

子供に食事を与えない事が、判明した場合、

こういう措置になってしまうのだ。

ご近所ならば、おむすびの一つも提供して、

その場限りの話で終わるだろうが、行政が関わってくると、

現場の善意だけでは、話が済まない。

たかが小学生のお昼ごはん。でも、一度善意を見せると、

際限なく甘えてくる親が、後ろについてると分かっている為に、

この子に、善意で食を提供できないと言うのだ。

お腹を空かせている子供が、目の前にいる。

提供できる食べ物もある。でも、与えられない。

一度、こちらが善意で与えたら最後、この子は、

親に、食事を与えて貰えなくなる可能性がある。

だからといって、今、目の前で飢えを訴える子を、

どうするのか。

個人的意見を、無責任に吐いて良いなら、

こんな親からは、さっさと子供を引き離し、

設備のよい施設に子供を収容するべきだろうと思う。

そして、要支援児の子育てのために、親に支給されている、

様々な補助を、全部打ち切ってしまうべきだろう。

その方が、この子の為には、よい措置ではないかと思うのだ。

でも、できない。そこまで踏み込めない。

この子が、帰宅して、親に、

「お弁当を持たせて貰えなかったから、

 お腹がすいて困った。」と、必死に訴える事で、

親が、しぶしぶ弁当を用意するようになるのを、待つしかない。

なにも、手作りの、凝った弁当である必要はない。

毎日ではないのだ。長休みの間だけである。

袋パンでも冷や飯のお結びでも、何でもいい。

それを、小学生の子供に、自分で訴えさせるしかない。

痩せて、年齢より小さい子の、細い指を見ると、

こんな事は、今初めてではないのだろうと思う。

そんな程度の意識レベルしかない親が、

無責任に、どんどん子供を産んで、育てきれずに、

要支援児にしてしまう事が、起こっている。

(この子の程度なら、昔なら、普通学級に入れてるだろう)

家で、勉強のフォローもせず、それどころか、

学校に、筆箱をカラで持たせる、と言う低意識。

なまじ可愛い筆箱だけに、鉛筆1本入ってない状態に、

唖然とする。

聞けば、鉛筆削り器すら、家にはないと言う。

(この子のウチだけではない。数件確認した)

この子がもし、世話のいい親のウチに生まれておれば、

多少勉強が苦手でも、普通の子だろうにと思うと、

不憫でならない。

子育て支援も、保育所増やせ問題も、重要な問題だ。

だが、子育て能力のない家庭に、無責任に、

子供を増やす話ばかりしてもらうと、困る。

保育士不足問題は、要支援児の増加問題も関わっている。

マンツーマンで付き添わなくてはならない、

要支援児が増えてきているのだ。

乱暴な言動、多動、極端な甘え、身勝手なふるまいなど、

発達障害として、一括りにされているが、

家庭での指導力の低下も、絶対に関わってる。

親だけが悪いのではないが、親のかかわり方が悪い場合も、

やっぱりあるのだ。

子供達の個人差は激しい。

出来の良い子は、多少、家庭環境がよくなくとも、

自力で頑張れるのだろうが、

多少、性格に偏りがある子が、育児能力のない親の元に、

生まれてしまったら、どうする事も出来ない。

連鎖するのは、「憎しみ」と「貧困」だけではない。

発達障害の連鎖が起こってしまうのだ。

どんなに、出来の良い生まれつきを持った子だって、

「他人の善意には、とことん甘えて、自分は極力努力せず
 
 下さるものをすべて頂いて、テキトーに生きて行く。」


などと言う、とんでもない考えの大人に育てられたら、

普通には育たないだろう。

人の心には、甘えと怠けが住んでいる。

でも、それを武器に振りかざして、自分の子供を盾にして、

楽して生きようとする親も、確かに存在する。

そして、行政は、必死で頑張る親を、見捨てる手段として、

こういう親を盾に使うのだ。

行政から、貰う事ばかりを考える輩が多くて、

真面目な方に手が回りません、と。

もう、どうどうめぐり、いたちごっこ、

いや、そんなきれいごとではない、

無力な子供を質に取った、泥沼劇である。

この泥沼掃除を引き受けさせられているのが、

児童相談所、ただ一か所。これでは手が回らなくなる訳だ。

できれば、妊活・子育て省として、独立省が欲しいくらいである。

厚労省は、学校と勉強の問題だから、文科省に押し付けるだろうし、

文科省は、子育て・福祉問題だとして、厚労省に押し付けるだろうし。

でも、どちらの省にしても、様々な公衆衛生や医療問題と、

重力波や素粒子の研究と、学校に鉛筆を持たさない家庭の問題を、

同じ省で管轄するのは、無理だと思う。

要支援児学童たちは、両省の狭間に陥ってしまっている。

子どもの福祉は、つくづく、難しい。

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